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2013/09/08

「力を尽くしているかね?」宮崎駿監督のメッセージに想う


宮崎駿監督 の、長編アニメからの引退に思う、、、
宮崎監督の生きてきた道と『風立ちぬ』

※ネタばれが少しあるかも?是非、作品をご覧になってからお読みください!

『風立ちぬ』の主人公堀越二郎は
少年時代から空や飛行機に憧れて、
純粋にただただ、夢を追い求めていました。


根底に流れていたのは、純粋な夢と憧れでしかなかった。
後に世界を恐怖に陥れたゼロを作りだしている最中であっても。

魚の骨のカーブを参考にして機体を設計したり
画期的な枕頭鋲を開発したり
とにかく一心不乱に図面をひく姿からは、とうてい戦争とは関連の無い、
ものづくりに没頭する青年の姿に私には見えました。
当然、美しい飛行機であっても、それが戦闘機である、という矛盾は抱えていましたが、
それ自体が「良い/悪い」という次元ではなく、
とにかく飛行機が「好き」だから、という、
最終的には「好き/嫌い」の次元で、のめりこんでいました。
今やっている仕事の先に、
「戦争に勝ってやるぞ」なんていう当時としては崇高な目的は微塵もなかったでしょう。
 

そんな主人公の姿は、一人の人間が夢と一緒にエゴを追及した権化とも見てとれます。
結核を煩う菜穂子さんとの関係においても、


傍にいて「綺麗だよ」とささやき、求められて手を握り、抱くだけでした。

枕元でためらいながらも結局はタバコを吸うシーンは、多くの物議をかもしていますね。
今とタバコの存在感はだいぶ違いますが、それをさしひいても、
夢のためには刹那主義になれる。
その積み重ねが、 ゼロを生み出しました。


とはいえ、少年時代は下級生へのイジメを見て憤慨してケンカをし、
関東大震災の時も、見ず知らずの少女(菜穂子さん)とその侍女を
まさに体を張って助けていました。
貧しい子供たちに、自分が買ったシベリアをそのまま渡そうとしていました。
そんな優しさも、ちゃんと持ち合わせています。


優しい反面、薄情で非道。
夢を追う「鬼」。優しさとエゴ。
彼を表すならそんな言葉なのかもしれません。


でもそれは現代に生きる我々、ひとりひとりのことを表しているとも言えます。

美しい夢の追求が、
大日本帝国海軍から大絶賛を得た、ゼロを生み出した。

日本における戦争の歴史において、驚異であり脅威であった、
あまりにも有名な戦闘機です。

戦争というのは、基本的には野蛮で悲惨なものだと思います。
誰しも、死と直面して行動すれば、
自己保全のため残虐にならざるを得ず、考えられない結末を生みます。
その戦地での積み重ねと、
戦地を知らずに作戦を練り続けた後に、いよいよひけなくなった大本営という構図が、
あの太平洋戦争だったのだと思います。

夢のため、仕事のためならものすごく薄情になってしまえるひとりの人間のエゴと、
その人間とエゴ集合体が作り出す世界の想像を絶する残虐性と、
そんな社会のしくみの残酷さが描かれていたように感じます。


あの戦争の中で、それぞれ一人一人が生きるために負っていたもの。

それは、ひとつひとつの小さな「仕事の積み重ね」だったのです。


人間にとっての、仕事とは何か
人間の使命とは何か
社会と人間の矛盾
人間のエゴや狂気、、、


一人の人間が美しい夢を追う時、
そのまわりにいる沢山の人たちや、
貧しい庶民たちが引きずり込まれ、
多くの若者たちや愛する妻も犠牲にしてしまう。知らず知らずに。
そんな犠牲の上に成り立つ芸術作品は、罪深く、
しかし美しいのだという、
非常に大きな、この世の矛盾。

飛行機が美しく魅力的に描かれているのも、メタファーに思えます。
宮崎監督、本当に飛行機が好きなのですよね。
ポニョから5年間の中で、苦しみながら描いたのではないかと見て取れます。

私たち現代人が、仕事として、 良きことと信じていることへの追及、
楽しいなぁと思っていることへの追及が、
実は知らず知らずに、
社会全体としては 狂気へ突き進んでいるのではないか?
そういう警笛だと見えないでしょうか。


これまでのジブリ映画は、トトロや千と千尋の神隠しに代表されるように、
主に子供向けに「夢」「努力」「人とのつながり」などを意識して描かれていましたので、
この映画を見て、あら、今回は大人向けなのね、と
悲恋に泣いてはい終わり、で片付けてしまいがちですが、
それはあまりに短絡的です。

表面的には美しい夢物語りでありながら
実は、人間の薄情さと、
しかしそれが救いようのない本能であること、
そんな世界の残酷さを描いていることに、君たちは気づけるだろうか?という投げかけを
監督はしたかったんじゃないかと思うわけです。

貧乏なはずの日本が、美しく描かれすぎていますが、
今、「成熟社会」となった日本と比べると、
あのどん底に貧乏な時代こそが「成長」のスタートであり、
ある意味、貧乏であっても、今よりも美しい世界だったとも取れます。


「最後の長編」という覚悟で望んだ宮崎監督、なんてすさまじいんだ・・と思いました。




 映画のコピーにある
『生きねば』



主人公の夢の中に何度も出てくるカプローニという高名な設計士が、
出てくるたびに、何度も何度も出てくる問いかけ。
『力を尽くしているかね?』



→これはどうやら、鈴木プロデューサによると、  旧約聖書からの引用した一文で、

 「全て汝の手に堪うることは、力を尽してこれをなせ」
 (すべて人の手にたうることは、力を尽くしてこれを成せ
 というものらしいです。


また、 ポール・ヴァレリー『海辺の墓地』の一節から引用した

『風立ちぬ、いざ生きめやも』  “Le vent se lève, il faut tenter de vivre"
 意味:(風が吹いている。さぁ、私たちは、生きる努力をしなければならない


 この3つの言葉が繰り返し、物語の中に静かにちりばめられています。


そう、
宮崎監督が、同じ時代を生きている人間として
成熟社会の日本人である私たちに問いかけていることは
実にシンプルなのです。


今日も明日も、生きねばならない、ということ。


夢を追った結果に出来上がった世界は残酷で非道なこともある。

しかし、夢中になれることを見つけたのであれば、
今日も明日も力を尽くして、生きねばならぬ。

生きるために働かねばならぬ。

良かれと思っている仕事が、世界のために全然なっていなくて、
もしかしたら、
世界滅亡の道を切り開いていることなのかもしれない。
自分や自分の子供たちの首を絞めることかもしれない。
仕事というものは、一生懸命になればなるほど、そういう麻薬的な性質を持つ。

でも、それに気づくと気づかざるとに関わらず、
(一生気づかずに死んでいく人であっても)

そうであっても、やはり私たちにできること、というのは

力強く働き、生きていくこと。

そういうことなんじゃないかなーと思いました。



宮崎監督の、最後の痛烈なメッセージ。と私は受け取っています。
大変、胸を打つものがありました。
もちろん、映画を構成するディティールが今回も素晴らしかった。

ジブリ作品、私の中でのお気に入りは、ダントツでナウシカともののけ姫でしたが
風立ちぬと3点セットにすることにします!

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