ページ

2012/06/25

日本の嫉妬の業を失くせないか?

日本経済新聞電子版がスタートした時から連載されていた
日本電産社長の永守 重信さんのブログ

6月20日をもって最後のポストになりました。

凄腕の経営者ながらも、人間味あふれるブログで

毎回楽しみにしていましたが、
 
最後のブログは、「一生懸命働き、思うように生きよ!」 でした。


その中で、特に印象に残った部分を引用します。


「今のままで十分幸せだ。苦労して出世しなくてもいい。
成長しない日本で頑張ってもむなしい――。
このように考える若者が増えているという。
夢をかなえるため、一生懸命働くことの素晴らしさを、
日本ではなぜ実感できなくなってしまったのだろうか。

成功した人に対する嫉妬心が強すぎる社会だからではないか。
日本ほど、事業で成功した人を敬わない国も珍しい。
頑張っても報われない、夢のない国になってしまった。
多くの税金を払っても、補助金をもらっても、悪平等でみんな同じ扱いだ。 」

。。。

嫉妬。

よく見ると、女へんの二つの漢字を組み合わせた、
なんとも言えない、イヤ~な言葉・・・。

私自身も、自分の醜い嫉妬心に悩まされたこともありますし、

嫉妬心から巻き起こる(と思われる)仲間はずれに悩み苦しんだこともあります。

最初は小学生時代にまでさかのぼりますが

保育園や幼稚園時代まで、親の保護のもと、
温室の中で、ぬくぬくと愛情いっぱい育ててもらっていたのが

小学生になると、小さいながらも「社会」という集団に放り込まれます。

自分が中心で一番だった世界で生きていたのが
急に、競争社会に移り

自分よりも優れた人がいて、
自分よりも誉められたり
人気者になったりする場面を
目の当たりにする。

算数の授業では計算の速い子が
国語の授業ではいち早く作者の気持ちを言葉に表せる子が
体育の授業では足の速い子が
休み時間は、面白いことを言える子が
放課後では、容姿のかわいい子が

それぞれの場面において、目立ち、憧れの視線を浴びる。

それが良い意味での「反骨心」につながればいいのでしょうが、
特に女の子の場合は、ドロドロとした「嫉妬心」で満たされてしまうことが多く

普通に楽しく生きていたいだけなのに
幼いながらも
自分の本当の姿を抑圧したり、
不本意な行動に従ったりしなければ、
世の中を渡っていけないと思ってしまう。

自己を確立するために
幼少期のこのような試練は、大事なことだと思っています。


しかし、
私は、それが大人になってからも幾度と無く続いてしまうことには
とても悲しいことだと思います。


嫉妬心が渦巻き、足をひっぱりまくる場面を沢山見てきました。

永守さんがおっしゃっているように
こんな状況では、会社や組織が活力を失っていくのは
無理もないことだと思います。

じゃあ、教育が悪いと一概に言えるのか?
それも違うと思います。

ゆとりの教育が良いとも悪いともいえませんが、
ゆとり教育だから嫉妬心がなくなるか?にはNOだと思います。

嫉妬をせずに、のびのびと、でも一生懸命に生きれる社会。
日本が陥っているこの状況を開く活路は、
どこかにあるはず。

自分もそれに苦しむことがあるからこそ、

しばらくこれをテーマに、自分なりの答えを探してみようと思っています。


0 件のコメント:

コメントを投稿

Related Post